塾講師をしていると様々な生徒の声を聴きます。
「全部わかりません。どうしたらいいですか」「一瞬で忘れます。どうしたらいいですか」
こういった言葉を受け取ったときは、「質問としてよくない」と言います。
そして聞き取り作業が始まるのです。
このブログを読めば、受験生がしばしば発する「悪い質問」がどういうものか、そしてその対策がわかります。そして「よい質問」をすることの意味や効果についても納得していただくことができると思います。
ダメな質問3選
ダメな質問には以下のものがあります。
①○○(科目名)が全部わかりません。
②英単語や漢字を一瞬で忘れます。どうしたらいいですか。
③英語の長文が苦手です。どうしたらいいですか。
それぞれ、どこがダメなのか説明します。
①○○がすべてダメ
もちろん、生徒も○○の科目が「すべて」だめだと考えているわけではありません。数学であれば、その基礎となる計算問題。足し算引き算ができないと本当に悩んでいる生徒はいません(そういう生徒は、足し算の計算間違い事例を自慢げに上げてきますが、それは、質問することがコミュニケーションや、自分をショーアップする手段となっています。それもいいのですが…これは別のテーマになりそうですね。coming soonです)。
繰り返しますが、○○が全部できないという生徒はいません。生徒は「すごく苦手!」ということを「全部苦手」と言い換えているのですが、こういう言い換えの中で、そぎ落とされてしまうものがあります。
それは、その生徒が「本当に苦手としていること」ならびに「具体的につまずいた問題」です。言い換えると、その生徒の学力が伸びるチャンスになっているものです。
これを見逃している限り、先生といくらコミュニケーションを重ねても、場当たり的なものにしかならないし、場当たり的に学習が進んだとしても、生徒自身がその単元自体を俯瞰して、把握するような理解に到達することはありません。
だから、「○○が全部だめ」と言われたら、まずは、そういう発言をする根拠となるエピソードを尋ねますし、そういう質問をするのではなく、具体的にできなかった問題や、出来事を尋ねるようにしようね、と話をします。
こうした言い方は、生徒本人だけでなく、「親御さん」にもみられます。子どもの場合同様に、こうした発言はともかく「問題を解明を遠ざける、怠惰な質問」です。(もちろん生徒からこの言葉が発されたときは、コミュニケーションの発端ともいえるので、切って捨てるだけがやり方ではありませんが。生徒次第です。)
②一瞬で忘れる
これも、本質的には①と同じで、「誇張された表現」だし、「事実誤認」であり、「本質的な問題から生徒を遠ざけるもの」です。
というのも、漢字を勉強しました、英単語を勉強しました、奈良時代の文化を勉強しました、というその瞬間、あるいは数十秒後、生徒の記憶にはそれらの知識があるはずです(という仮定の下でいったん話を進めましょう。一瞬も英単語を覚えられない生徒は、そもそもの単語学習、漢字学習のやり方を知らなければなりません。この記事とこの記事で部分的に解説しています)。そして、どこかの瞬間で忘れる、ということですよね。エビングハウスの忘却曲線の話はしません。
そもそも人間の脳は、「忘れる」ことを主要な仕事の一つにしています。
そうしないと、容量がいっぱいになって機能を停止してしまうからです。生命維持にかかわる危険を回避するためにも、脳は忘れることを積極的に行います。
それでは、どんなことを「忘れる」のか、というと、それは「脳が自分自身に関係がない、重要でない」と判断している内容です。
ここでは、受験勉強、あるいは、英単語や漢字などの個々の知識の学習の意味付けが問題となっています。
なぜこの英単語を学ぶのか、などなどそれぞれの知識を身に着ける必要性を理解していなければ、そもそも学習が進みにくいです。
※中一の英語基礎についてはこちらの記事を参照してください。
※中二の英語基礎についてはこちらの記事を参照割いてください。
ともかく、脳は忘れることを主要な仕事としているのだから、まず「君の忘れるという現象は普通のことだ」と伝えます。そのうえで、次のステップは、「復習のスケジュールを決めて、必ず実行すること」です。さらに、その手前のステップとして、「新しく学んだ単語や熟語、漢字を一時的にまとめておくノート」を作っておくように働きかけます。
人間がものを「忘れる」とき、何を忘れたのか記憶にないはずです。
これが学習を阻害させるのです。
実は、中学三年間の中でもたくさんの英単語に触れていますが、そのほとんどはさらっと言われるだけで、過去問で出題されている見知らぬ英単語も、二度と復習されることはなくなってしまう。
なぜなら、何を知らなかったのかすら忘れてしまうからです。
だから、「復習が重要」で、覚えるプロセスの重要な一部に「知らなかったものノート」の作成、が挙げられるのです。
③英語の長文が苦手
これは、先の①②よりもよりよい質問です。なぜだかわかりますか?
具体的だからです。
しかし、長文まで意識が向かっているということは、かなり学習も進んでいる、あるいは受験が差し迫っているということでしょう。その状況の中でこの質問は、あまりよくありません。
これはこれで、やはり具体性がないからです。
ここで私は「長文て、どういう勉強をしてる?」と尋ねます。
生徒が具体的な勉強法や読み方について答えられればそれでいいです。次に、最近説いた長文問題の復習をしたり、解いた過去問や模試の結果を聞いて、それを見直ししていきます。その中で、長文読解を妨げる要素を探すわけです。
こんな感じです。
長文読解については、「○○年の過去問の、大問△ができなかった!単語がめちゃめちゃわかりにくくて、話の内容が理解できなくなった!第三段落までは行けたのだけど!」と生徒が言ってくれば、「いい感想だね。じゃあ一緒に見てみよう」となるわけです。
最後に 質問がなければ答えがないということ
いかがだったでしょうか。私の持論として、「質問がなければ答えがない」というものがあります。
受験勉強はすべて「答えがある問題を解く」という作業です。しかし、生徒が一つ一つの問題に前のめりになって、自分の問題としていなければ、それの答えを聞いたところで「ふーん」で終わってしまいます。それは「与えられた設問」に過ぎないのです。そういう距離感で解いていても、学力は上がりません。脳のところでも言いましたが、その問題は本質的には「自分に関係のないもの」だからです。
本当に受験に前向きになるということは、それを「自分自身の問題として受け取る」ということです。その中で生徒は「疑問」にぶつかり、それを「質問」します。このようにして「質問」が定位されることで、それに対して初めて「答え」が生成します。
自分で生み出した「質問」に答えてもらうとき、そこには本当の「喜び」「納得」が生まれるものです。だから、よい受験生は良い質問をしなければいけないのです。
悪い質問は限りがあります。すべてパターン化されたものです。しかし、よい質問には限りがありません。だから、こちらも意表を突かれたし、すぐに答えられなかったり、十数年考えこむことになったりすることもあります。でも、そうして受け止めた質問は、自分を間違いなく成長させてくれるものです。
よい質問を通じて、よい学習を積み重ねてほしいと思っています。
それでは、失礼します。
かいたく記
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